
もしエロヒムが生命を創造していなかったら、と想像してみてください。私たちが存在していなかったら、と想像してみてください。太陽は今と同じ場所にあり、月も同じ場所にあり、地球も同じ場所にあるでしょう……しかし、私たちはここにはいなかったでしょう。
宇宙は私たちを必要としていません。宇宙は私たちがいなくとも、完全に、そして完璧に、調和したままでしょう。
これはとても興味深いことです。私たちは必要不可欠な存在ではないのです……それでも、私たちはここにいます。
では、私たちは宇宙に何をもたらしているのでしょうか?
愛です。
そして、それこそが最も重要なエレメント(要素)なのです……映画『フィフス・エレメント』のように。それは土の中から見つかるような化学物質ではありません。私たちは「愛」を生み出します。私たちは「愛」を生み出すために創造されたのです。
エロヒムの教えを思い出してください……「私たちは、自らを意識する無限である」
これは、エロヒムのすべての教えの中で、最も深い言葉かもしれません。もう一度言います……「私たちは、自らを意識する無限である」 そして、それが「愛」なのです。
超意識がなければ、愛はありません。
意識によって、私たちは宇宙を知覚することが可能となり、超意識によって、私たちは愛を感じるのです。
何が宇宙を動かしているのでしょうか? 何が地球を太陽の周りに回らせているのでしょうか?
科学者たちは、重力について……原子や惑星の間に働く力について……語ります。私は皆さんに告げました……彼らがまだ知らない粒子が存在すると……それが『グラビトン(graviton)』です。それが愛です。それは愛なのです!
宇宙が一つなのは、愛のおかげです。
いろいろな名前をつけることはできますが、それは「愛」です。私たちが愛を広めるとき、私たちは宇宙をひとつにしているエネルギーについての真実を広めているのです。
宇宙を一つにつなぎとめているエネルギーは、私たちを一つにつなぎとめているエネルギーと同じものです。電子や粒子を原子の中にとどめているエネルギー……それも同じエネルギーです。それが愛なのです。とてもシンプルです。そして、私たちはそのエネルギーなのです。
量子物理学のおかげで、科学者たちはこのことを感じ取り始めています。実際のところ、彼らはそれを理解してはいません……しかし、感じているのです。自分たちには説明できない何かがあることを感じ、それを受け入れ始めています。
なぜなら、人間には非常に大きなエゴがあり……自分たちはすべてを理解できると思っているからです。しかし、理解することは不可能です。
無限のように、理解することのできないものもあるのです。
無限を理解しようとしてはいけません……気が狂ってしまいます。しかし、それを感じることはできます。
愛……本当の愛も同じです。私はホルモンによる惹かれ合いについて話しているのではありません。ホルモンによる惹かれ合いは美しいものですが、それは愛ではありません。
カタツムリも、蝶も……異性に惹かれます。でもそれは愛ではありません。それは「腺」の働きによるものです。
「腺」というのは医学用語であって、詩的な言葉ではありません。私は美しい乳房を見て反応しますが……それは腺の働きによるものであって、意識によるものではありません。
私が話している愛とは、普遍的な愛です……無限を感じることから生まれる愛、私たちは一つであると感じることから生まれる愛です。
皆さん一人ひとりの幸せは、私にとって大切です。地球上のすべての人達の幸せが、私にとって大切です。そして、そのことを感じたとき……愛は至る所にあるのだと気づくのです。
ですから、それを感じてください。
エロヒムのメッセージを広めるとき、皆さんが広めているのは「愛」なのです。
彼らのメッセージは美しいものです。それは、私たちが多くのことを理解する助けとなります。しかし何よりも、それは私たちに無限のシンボルをもたらしてくれています……無限そのものは理解することができないものですが。
それは、理解することのできないものを私たちに理解させてくれます。私たちの超意識にとって重要なこと、本当に大切なことは、理解を超えたもの、すなわち「無限」を理解することです!
私たちはメッセージを広め、無限という概念を広め、人々が無限を感じる手助けをします。そして、無限を感じると、愛が自然に生まれます。
皆さんは私の一部です。分離しているというのは幻想にすぎません……皆さんはここにいて、私はここにいます。しかし、私たちは一つです。
それこそが、エロヒムの教えの美しさです。私たちは一つなのです。
あらゆる出来事……これは量子物理学のお話ですが……皆さんの脳の中で起きているすべてのことは、私が考えていることに影響を受けています。皆さんが感じるすべてのことは、私が感じていることの影響を受けています。
だからこそ、自分の寝室に一人でこもって瞑想するよりも、みんなで一緒に瞑想するほうが、はるかに大きな力をもつのです。
なぜなのかを理解する必要はありません……ただ、それを感じればいいのです。
皆さんが私のことを理解しているかどうか、それは重要ではありません。皆さんが私を感じていること、それが大切なのです。
そして、私も皆さんを感じています。私は理解したいとは思っていません。
新しい顔ぶれの方を見かけたとき、その人たちを「理解」しようとすると、こう考えてしまいます……「私は重要な存在だ。あなた自身が自分を理解している以上に、私があなたを理解してみせる」 それはエゴです!
だからこそ人々は……ラエリアンでない人たちでさえ……私のそばにいたいと惹きつけられるのです。
空港や飛行機の中で、何かに引き寄せられるかのように人々が私に近づいてきて、「あなたは誰ですか?」と尋ねることが何度もありました。
それは美しい質問です。
では、最高の答えは何でしょうか?
何もありません。
何かを言えば、そこにエゴが入り込んできます。「私は教師です」「私は預言者です」「私はグルです」どれも間違っています。
だからこそ、ブッダはただこう言ったのです。「私です(I am)」
「私は何者かである」ではありません。ただ「私です」と。ほかの言葉は何も必要ありません。
「あなたは誰ですか?」と尋ねられると、人は普通、「私は○○です」と答えて、それから自分の職業や国籍を言います。しかし、それはその人自身ではありません。
「私です」
「ええ、でも、あなたは誰なのですか?」
「私です」
その言葉には、すべてが含まれています……とりわけ、無限が。
それを感じますか? 理解していないことを願います。私は理解されたいのではありません……感じてもらいたいのです。
覚えておいてください。無限を理解することはできません……しかし、感じることはできます。
私は何者でしょうか? エロヒムのメッセンジャーです……そうです。しかし、エロヒムとは何者でしょうか? 無限のメッセンジャーたちです。
つまり、私は無限のメッセンジャーなのです。そして、皆さんも無限のメッセンジャーなのです。
彼らのメッセージを広めるとき、皆さんが広めているのは無限についての理解ではありません……無限を感じることを広めているのです。
誰かが皆さんに贈ることのできる最高の褒め言葉は、「あなたは誰なのですか?」と尋ねることです。
もし誰からもそう尋ねられないのなら、何かが欠けているわけです。十分に輝きを放っていないのです。
人々が心を打たれるべきなのは、エロヒムやDNAについての皆さんの説明によってではなく、皆さんから放たれる「光」によってです。
もし「あなたは誰なのですか?」と尋ねられるなら……そのとき、皆さんは在るのです。
ですから……ただ「在る」のです。
これが愛です……無限への愛、エロヒムへの愛です。
皆さんがその状態……この感覚……にあるとき、皆さんはエロヒムと同じレベルにいます
いつの日か、皆さんはエロヒムに会うでしょう。そのとき、彼らに何と言うのでしょうか?
かつて私がしたように、「遠くから来たのですか?」「仕事は何ですか?」「どこから来たのですか?」などと、くだらない質問をするのでしょうか?
そうじゃありませんね。
もし皆さんが無限の領域にいるならば、ヤーウェと瞬時につながるでしょう。皆さんは同じレベルにいるのです。
無限を感じるとき……このことを繰り返し心に留めてください……無限を感じるとき、皆さんはエロヒムと対等なのです。
科学についての話? 宇宙について? そんなことは忘れてください。皆さんは、彼らの知識の1%の、そのまた1%の、そのまた1%にすら到底及ばないのですから。
皆さんの科学は、ゴキブリのレベルです。
しかし、無限について語るなら……皆さんはヤーウェと同じレベルにいるのです。
では……皆さんはどこにいたいですか?
ヤーウェに会うとき……皆さんはいつの日か会うでしょうが……知性でヤーウェに会いますか? それとも感覚で会いますか?
感覚を選べば、皆さんはすぐにエロヒムと調和するでしょう。何をすべきかが分かるでしょう。
なぜなら、ヤーウェをいったい何と表現すればよいのでしょうか……天才でしょうか? 科学者でしょうか? 地球上に生命を創造した存在でしょうか?
いいえ。彼はただ、在るのです。
彼の名そのものが「われ在り(I am)」という意味をもっています。ヤーウェとは「われ在り」という意味なのです。それ以上、何も言う必要はありません。
皆さんに出会えて……皆さんを感じることができて……私はとても幸せです。
私は皆さんを理解することはできません。しかし、皆さんを感じています。
そして覚えておいてください……お互いに会うとき……感じるようにしてください。理解しようとしてはいけません。
感じているとき、そこに裁きはありません。理解しようとすると、裁きが生じてしまいます。
つまり……愛です。
愛とは、感じることです。愛とは、在ることなのです。




