
今の自分の心の状態を、エロヒムからメッセージを受け取った直後のまさに最初の頃と、現在とを比べてみると、当時の私は、とても役に立ち、必要とされ、とても重要な存在でした。すべてがこの小さな肩の上にのしかかっていたのです。でも今では、それが皆さんの肩にかかっています! そして皆さんは、見事にそれを果たしています。どうか私を無用な存在にして下さい!
皆さんが美しくメッセージを広め、ムーブメントに力を与えてくれるなら、私はまったく無用な存在になります。そして私はそうなることをとても願っています。ですから、もし皆さんが私を愛し、喜ばせたいと思ってくれるなら、私を完全に無用な存在にしてください。私が大好きなこの言葉を覚えておいて下さい。『弟子の準備が整ったとき、師は現れる。弟子の準備が本当に整ったとき、師はその姿を消す』(老子)
皆さんは私を幸せにしてくれています。皆さんがどれほど素晴らしい働きをしているかを、私は見ているからです……いつも見ています。皆さんが何をしていようと、私は皆さんを感じています。皆さんは気づいていないかもしれませんが、時々私は皆さんを見ているのです。たとえ遠く離れていても、私は皆さんを感じています。どうかそのまま続けて下さい!
新約聖書には、イエスが一つのパンを増やして多くの人に分け与えたと書かれています。彼は一つのパンで多くの人を養いました。皆さんはそれと同じです。最初、私にはパンなどなく、ほんの小さなかけらしかありませんでした。そして私はそれを増やしたのです。皆さんはエロヒムのパンです。そのことを感じて下さい!一人ひとりがエロヒムにとってとても大切な存在なのです。
「あぁ、レベル5やガイドたちは重要だけど、自分は違う」などとは決して思わないで下さい。それは皆さんが犯し得る最大の過ちです。レベルがどうであろうと……それは意味のないことですし……レベルを誇ってはいけません。名前は挙げませんが、中には「私はガイドだ」「レベル5だ」と言う人もいます。皆さんはエロヒムに仕えているのです。エロヒムのメッセージを広める時、誰もがレベル0なのです。レベルにこだわってエゴを膨らませると、メッセージの本質を見失ってしまいます。
レベルは、私たちのムーブメントを組織する上では重要です。特に、何か問題が起きたときに責任を取る人を決めるためにはです。ですから、自身のレベルが高いほど、何か問題が起きた時にはより大きな責任を感じるべきです。いわゆる「シンプル・ラエリアン」と呼ばれる一般のラエリアンこそが最も重要な存在なのです。
私たちの組織には確かに秩序が必要ですが、それが最優先というわけではありません。最も大切なのは、メッセージを広めること、愛を広めること、メッセージに踊り、メッセージを歌い、人々に届けることです。なぜなら、まだこのメッセージを知らない人々がたくさんいるからです。そして、そうした人々と最も多く触れ合っているのは、レベル5の人たちではありません。
ですから、そのことについて考えてみて下さい。レベルをもたず、純粋なラエリアンでいる皆さんこそが最も重要なのです!「私はレベル4だ」「私はレベル5だ」と言う人を見ても、悪く思わないで下さい。「私はレベル6だ」と私が言ったことがありますか?私は皆さんに仕えるために、支えるために、ここにいるのです……イエスが使徒たちの足を洗ったようにです。それは謙虚さの象徴です。
真の精神的ガイドになるということは、人々に仕えることであり、支配することではありません。教師であれば、エゴは消え去るものです。最大の敵はエゴであり、それは愛とは対極のものです。愛がある時、自分よりも他人が大切になります……特にメッセージを知らない人々に対してです。
新しい人々に出会い、メッセージを広めるとき、あなたはエゴを完全に捨て去らなければなりません。「私はガイドだ」などと考えてはいけません!あなたが出会う人々の中に、将来の「最高ガイド」になる人がいるかもしれないのです。彼らを「オーケー、ただのラエリアンだ」というように見てはいけません。あなたのおかげで、彼らは私たちの組織のリーダーになるかもしれないのです。
自分より優れた人を見つけること……それこそが最も美しいことです。そうすればエゴは消え、「私はエロヒムの謙虚な下僕(しもべ)」という謙遜さが生まれます。私は奉仕する存在であって……支配者でも、管理者でも、監督者でもありません……そんなものはナンセンスです。愛をもって、あなたはエロヒムに仕えるのです。そうすれば、人々はあなたの目にそれを感じるはずです。
これはあなた自身にとっても大きな励みになります。レベルという鎧(よろい)を身にまとうと、愛から切り離されてしまいます。私たちのムーブメントに加わる最もシンプルな人々……その人たちを見て、自分が初めてメッセージを知った時の気持ちをつねに覚えていて下さい。もちろんその事について考えれば思い出せますが、考えていない時でもその気持を忘れないで下さい。
ただ、その他大勢の中の一人の人間として、「私はエロヒムに仕える者」という姿勢でいるのです。すると、あなたは光を放ち、自然に人々があなたのもとへと引き寄せられ、「この光は何だろう?」と感じて、その光から発せられる言葉に耳を傾けたいと思うようになります。あなたの中にエロヒムのメッセージという光があれば、それは輝くのです。
私は旅をしていた時、空港や飛行機など、さまざまな場所で多くの人に出会いました。いつも大きなメダルを身につけていたわけではありません。時には他の人たちと同じような服装をしている時もあったのですが、人々は私に「あなたは誰ですか?」と尋ねてきました。というのも、彼らは何かを感じ取ったのです……メダルを身につけず、ラエルとしての服装もしていない私にです。私はこっそり旅をするのが大好きです。「あなたは誰ですか?」と尋ねられればビンゴです!それは人々の側から自然に湧き上がってくるものであり、皆さんも同様に……人々の中にこの問いかけを芽生えさせる必要があります。
たとえ自身のことを「ほとんど無に等しい」と感じていても……どうかもっと「無」を感じて下さい。そうすればあなたは輝くのです。「あなたは誰ですか?」と、私は何度も理由もなく人々に尋ねられました。彼らは何かを感じ取ったのです。そんなとき私は仏陀のように答えました。「私です(I am)」と。私は「フランス人だ」「教師だ」「預言者だ」とは言いません……決してです。そうすると、「引き出し」を開けてしまうことになるからです。
私の性格について少しお話しましょう。私は自由を心から愛しています。それが一番です。時々ジャーナリストから「あなたにとって一番大切なものは何ですか?」と聞かれますが、その答えは「自由」です!私はどこの国にも、どんなグループにも属したくありません……私は自由なのです!日本に住んでいますが、日本人ではありません。明日には国を変えることもできますし、惑星を変えることだってできます……人類にすら属しているわけではないのです!
この自由への愛こそが、あなたをブッダにします。ですから、誰かに「あなたは誰ですか?」と尋ねられたら、「私です(I am)」と答えればいいのです。(聴衆に向かって) Are you? ……(聴衆:「I am!」)……それを感じて下さい!レベル5は関係なく、レベル4は関係なく、ラエリアンすら関係なく、あなたはエロヒムの唯一無二の創造物です。それを輝かせて下さい!輝いて下さい!あなたの光を放って下さい!そうすれば、人々は自然にあなたの元へと集って来ます……パンフレットなど必要ありません!それがあなたの目標であり、ゴールです。人々があなたを見て「この人は何者だろう?」と思い、やがて「あなたは誰ですか?」と尋ねられるようになるのです。
この問いかけを引き出すのは容易ではありません。灰色の群衆の中で、灰色の人間であってはなりません。「存在する」ことを愛して下さい!(Love to be!)あなたがあなた自身であるとき、あなたの中から一筋の光が放たれるようになります。この世界では、多くの人が自殺を考え、誰もが「人生の意味」と呼ばれるものを見つけようとしています。
しかし、この問い自体がすでに愚かなのです。人々は「人生の意味とは何か」と尋ねますが、それ自体がすでに病んだ考えです。人生の意味とは「生きていること」です!それ以上の理由など必要ありません。
木の枝に止まって朝に歌い始める小鳥が、「人生の意味とは何だろう?」なんて考えていると思いますか? ただ歌い始めるだけです。あなたも同じです。自分の歌を唄って下さい!
すると、誰もが理解したいと思い始めるでしょう……「あれは何という鳥なんだろう?」と。木の上で鳥が歌うのを聞くと、私たちもそうなりますよね。いつも考える脳が働き、「何なのかGoogleで調べてみよう」となりますが、それは毒です。
私はケベックの森の中に住んでいた頃、モントリオールからやって来たラエリアンたちと一緒に森の散策を楽しんでいました。そんな時、枝に止まる鳥を見るたびに、皆んなは「これは何という鳥だろう?」と言ってすぐに携帯電話を取り出し、Googleで調べようとしましたが……それが毒なのです!そうしている間に、鳥はすぐに飛び去ってしまいます。
鹿も同じです。私は鹿を見つけようとしていましたが、森の中で鹿に近づこうとすると、都会から来た人たちは「わあ、見て!」と言ってしまい、鹿は逃げてしまうのです。私はそれを避けるため、同行するラエリアンたちにこう言いました。「決して手を使わず、耳と目を使って」と。時には2、3頭の鹿がこちらを見ているのを感じることができました。
「何か見える?」……「いいえ!」……「今、三頭の鹿が皆んなを見ているよ」。彼らには見えていなくて、「どこ?どこ?」という具合です。とても特別な体験です。初めて森に入る人々は期待を膨らませ、ディズニー映画のようにバンビが全身見えると思っています。でもそんなことは決してありません!見えるのは、頭や足や尻尾の一部だけで……全身を見ることはありません。「目を向け」「感じる」ことが大切なのです。
そしてそれは「自分である」ことにもあてはまります。あなたの光を輝かせ、常にエロヒムへの感謝を忘れないで下さい。それは大切であるだけでなく……あなた自身の幸福のためにも重要です。
毎日、自然について驚嘆することを習慣にして下さい。私たちは毎日、海辺を散歩しますが、毎回少なくとも2匹のミミズと2匹のカタツムリを助けています……彼らは道の上にいるのですが、車が通るからです。だから毎回、私は立ち止まって、彼らを道の端に移動させてあげます。馬鹿げてますか?でも私はこれまでに、何千もの小さな命を救ってきました。それも命なのです。
彼らはどこから来たのでしょう?彼らもエロヒムの創造物です。ある日、最初のゴキブリが生まれ……オスはアダム、メスはイブと呼ばれました。すべての動物の種に、最初の一対が存在したのです。
「観照」は瞑想よりもさらに強力なものであり、キリスト教の伝統では、「観照すること」は瞑想や祈りよりも高い境地とされていて、仏教でもそうなのですが、観照というのはただ「眺める」ことを言います。日の出の海辺へ行く必要はありません。都会の喧騒の中でも、座って「人生」を観照することができます。
すると、すべてが満ち足りたものになります。生命の感覚、意識の感覚、そしてさらにその上の「超意識」の感覚があなたの中で輝きます。しかし見ることが必要であり、聞くことが必要です。ロボットのように歩いてはいけません。なぜなら、私たちの文明は人をロボットにし、「存在」から切り離してしまうからです。
観照は、瞑想よりも高次なものです。目を使い、耳を使い……あるがままを感じます。基本的な瞑想として「私はどこにいるのか?(Where am I?)」がありますが、自分がどこにいるのかを知るには、観なければなりません。生命を感じるには、生命を感じなければなりません。「私はどこにいるのか?(Where am I?)」「私はなぜここにいるのか?(Why am I here?)」……思考する脳ではなく、観照の心でそれに答えるのです!そうして初めて、自分が何者であるのか、という全体像を見渡す視野を得ることになり、全てとの繋がりがもたらされます。
そして最後の問いですが……覚えていますか?「私は誰と共にいるのか?(Who is with me?)」ですね。あなたと共にいるのは誰でしょう?今、誰があなたと共にいますか?……(聴衆:マイトレーヤ!)……そうです!私は皆さんと共にいます。そして私を通して、エロヒムが皆さんと共にいます。彼らを感じて下さい!あなたでいて下さい!(BE YOU!)でも本当の姿で!(But really be.)
「自分である」ことに関してですが、人生の中で最も厄介なものの一つとして……幸いにも今ではあまり使われなくなりましたが……「名刺」があります。日本では「よろしくお願いします!」と言って、名刺の交換がたくさん行われています。でも名刺に書かれていることがあなた自身ではありませんね。あなたのすべてが、その紙切れの上に書かれているわけではありません。
日本人が名刺を交換する光景を見るのが私は大好きです。実に見事です。互いにお辞儀をしながら両手で丁寧に差し出し、「これが私です!」と挨拶します。紙切れ一枚が自分のすべてであるかのようですが、紙切れ一枚なんかじゃありませんね。そして、私が見るのが大好きな一連の儀式があります……どのように名刺を差し出し、どのように受け取り、その後どこに置くのかという作法です。とても慎重に扱わなければなりません……ポケットに入れてはいけません。ダメです!大切な場所に置かなければならないのです。けれども、それがあなたというわけではありません。
私は名刺を持っていません。想像してみて下さい、もし私が持っていたら……きっとおかしいでしょうね!人々がやって来て「あなたは誰ですか?」と尋ねます。私は頭を下げ、名刺を差し出す……そんな光景を想像してみて下さい。あなたでいてください!答えは名刺ではありません。答えは……「私です(I am)」。「何々である」とは言わないで下さい。「何々である」と言った瞬間、あなたは自分が愚かであることを証明してしまいます。「私は愚かだ」と言うようなものです。私はすべてなのです(I am everything)。メッセージを広めるとき、皆さんはそういう存在なのです。
メッセージを広めるというのは、パンフレットを配ることではなく……あなたという光を輝かせるということです。それは紙の上に書かれたものではなく、あなたの瞳の中に記されていなければならないのです。



